あなたの楽しみは何ですか?「暇と退屈の倫理学」書評

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「何となく退屈だ。」そう感じたことはありませんか?

「日本は恵まれている」ってよく聞きますよね。治安が良い、食事・水が美味しい、医療の充実、交通の発達など、生活に必要なインフラがとても整備されてます。他にも起業がしやすい、海外への移動がしやすいなど、世界でもトップレベルの豊かな暮らしをしているのが私たち日本人です。

そんな豊かなはずの日本人ですが、幸福を感じている人はなぜか多くない。世界幸福度ランキング47位(World Happiness Report 2023年版)、自殺者数が多いという話も有名ですよね。

豊かになる=幸せではない。なら幸せって何?豊かな私たちはどうすれば幸せになれるの?この疑問に一つの答えを示してくれるのが、今回紹介する書籍「暇と退屈の倫理学」(國分巧一朗 著、新潮文庫)です。

豊かさの先に待っていたものとは?

命の危険がある世界では生きること自体が目的になります。自由のない世界ではお金を稼ぐなどの手段で自由を手に入れようとするでしょう。

今の私たちは、命の危険が無くある程度の自由も保障されています。その先に待っていたのが「退屈」でした。

頑張らなくても生きていける私たちにとって、極端に言ってしまえば人生のほとんどは気晴らしのようなものなんですよね。普段の生活の中で「何となく退屈だ」と感じることはないですか?私はこの感覚すごくよくわかるなぁと思いました。書籍ではこの感覚のことを、最も深い退屈『退屈の第三形態』と呼んでいます。

目的を失った私たちは、この「何となく退屈だ」という心の声を聴かないためならやりたくもない仕事の奴隷にすらなる。しかし無理をすると「何をやっていても退屈」と鬱のような状態になるし、やることがなくなれば「頑張っていたころが一番幸せだったよね。」と感じる。

こんな人生空しいと思いませんか?幸せになるために次は何を目指せばよいんでしょうか。

退屈は奴隷になることよりもツラい?!

私たちはいろいろなものの奴隷になっています。仕事の奴隷になったり、YouTubeなどのコンテンツの奴隷になったり、企業のマーケティングに踊らされてモノを買う「消費社会の奴隷」になったりと。

この「奴隷」という言葉は「何かに従う」という意味で使っています。人は従いたがるんです。だって楽だから、考えなくていいんですから。

「人間は考えないで済む方向に向かって生きている」のだそうです。考えなくてもできるように習慣を作って心地よい安定に留まろうとする、これは生きるために必要な能力ですよね。そしてこの心地よい安定状態は、ツラい「退屈」とセットなんです。

私たちは知らぬ間に、退屈を感じる「暇」のある豊かな生活を手に入れていたんですね。しかし、せっかく手に入れた「暇」を退屈から逃げるために奴隷になって過ごしている?!これはもったいない!

「暇」をどう使うかを問われている!

私たちは既に生きるのに最低限必要な安全と自由を持っていて、その上で余った時間「暇」まで手に入れました。この暇をどう使えば幸せになれるのでしょうか。キーワードは「考える」です。

人間らしい生活には退屈がついて回ることを、この本は教えてくれました。そして退屈から逃れられるのは何かに熱中している(とりさらわれる)時です。みなさんは何をしている時が楽しいですか?

そして実は、この本の結論は「熱中するほど楽しめるようになるには訓練が必要」という割と聞いたことのあるものなんです。ただし著者は、『結論だけ読んでも意味がないんだ』ということも伝えています。考えて、理解して、自分が変化していく過程こそ有意義なのだと。この本を読むこともその実践の一つだったのだと。

私は、自分が少しでも好きだと思えることを探すこと。それを楽しみながら学ぶこと。そしてその過程で新たな楽しみを受け取れるようになること。その終わりの無いループを楽しむことこそが幸せなのかなと感じました。

以前に読んだ「勉強の哲学」でも書かれていた「学ぶことの楽しさ」を経験させてくれる良書でした。「暇と退屈の倫理学」も「勉強の哲学」もとても面白い本なので、ぜひ読んでみてください。勉強って何だろう?『勉強の哲学~来たるべきバカのために~』を読んで

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